渡鹿野島は的矢カキの養殖で知られる的矢湾の中央部に浮かぶ周囲約6kmの小島です。
その形がハート型であることからハートアイランドと呼ばれるようになりました。
志摩の的矢湾に浮かぶハートアイランドは、家族連れでも楽しめますが、一人旅もオススメです。
そんなハートアイランドの渡鹿野島の魅力について紹介していきます。
渡鹿野島のハートアイランドへなぜ一人旅をおすすめするのか?
船でしかいけない離島の温泉
船でしか行くことのできない完全に孤立した島です。
そんなところがワクワク感を増幅させずにいられません。
この島を舞台に素人でもミステリーが書けそうな、そんな異界の地なのかもしれません。
船は3分ほどで渡鹿野島に到着です。
島の様子はちょっと寂しいけど…
島の形がハート型のため、ハートアイランドと呼ばれるようになった風光明媚な離島は過去の負の遺産なのでしょうか、島の各所に廃墟となった家屋も見られ、全体として寂しい雰囲気です。
ですから島の中をあまり歩き回らず、海岸や高台にある芝生が敷きつめられた広場・わたかの園地などで風景を楽しむのが良いと思います。
四方に開けた島だけに美しい朝陽も夕陽も望むことができます。
時を忘れ、お泊りの宿泊旅館で、一人でひたすらのんびりと過ごすのが一番の贅沢です。
そして、一人旅では、欠かせないのがグルメと温泉ですね。
次にグルメと温泉についても紹介します。
渡鹿野島で宿泊するなら旅館でグルメと温泉三昧
穏やかな海に抱かれてグルメ、温泉三昧!
旅館は、つたや・寿屋・福寿荘など9軒ほどあります。
どこも風光明媚でご自慢の料理でもてなしてくれます。
伊勢海老・鮑・的矢カキ・安乗フグなど伊勢志摩のブランド食材を活かした味覚など格好のリゾートアイランドとして賑わっています。
「風待ちの湯福寿荘」では自身が湯元で、全国でも珍しい海中源泉の天然療養泉です。
伊勢志摩屈指の大庭園露天風呂が最大の魅力。
海を見晴らす展望大浴場や貸切露天風呂、足湯も備えられています。
良質なナトリウム・カルシウム塩化物泉。
特に治療効果が高いと言われる”療養泉”で、関節痛・筋肉痛・リウマチなどに有効です。
飲用にも適した湯は胃腸の活性化を促進し「胃腸の湯」とも言われています。
隣接する福寿荘の姉妹館「アジアンな温泉宿はいふう」は、アジアンテイストに彩られた全室露天風呂付きのハイグレードな宿です。
また、同経営で少し離れたところに立つ、目前にビーチが広がるカジュアルな雰囲気の「海辺のホテルはな」は、バーベキューとヘルシーなせいろ蒸しが味わえると好評な宿です。
ハートアイランドの渡鹿野島の見どころ
ハートアイランドの渡鹿野島の見どころを紹介します。
◆平成15年夏には島の南東部に海水浴場がオープンしました。「わたかのパールビーチ」です。
「スペイン風」をコンセプトに、スパニッシュ瓦葺き屋根やスタッコ壁の使用、熱帯系植物の植樹により南欧風をイメージし、暑い夏を色鮮やかに演出しています。
◆高台には芝生が敷きつめられた広場・わたかの園地があり、太平洋、安乗埼灯台(珍しい四角柱の灯台)が一望できます。
◆7月には、八重垣神社で志摩地方一番の奇祭といわれる渡鹿野天王祭(7月23日・24日)が行われます。
日本の古き良き伝統文化がこの島では今日でも生きづいています。
◆渡鹿野島の西方対岸には志摩スペイン村があり、毎年夏になると花火があがります。
渡鹿野島のここかしこで観ることができます。
打ち上げ花火が見れるのは、7月の中旬頃から8月末まで19時30分ぐらいから見れます。
しかも島内8つの宿泊施設(わたかの荘、三好、浮島、寿屋、喜久住、福寿荘、はいふう、はな)に宿泊すれば、的矢湾花火ナイトクルーズに無料で招待されスペイン村の花火を船上から思う存分楽しめます。
◆わたかの荘はワンちゃんと泊まれる旅館です。
ドッグランもあるのでワンちゃん大喜び。
◆島リゾートの魅力は目の前が海であることです。
初心者でも気軽に釣り体験ができます。
釣り道具の貸し出しはもちろん、餌の準備やポイントのアドバイスまで。
どこまでのサービスが可能かお宿にご確認ください。
渡鹿野島の行き方などの基本情報
ハートアイランドの渡鹿野島へ渡るには、船しかありません。
- 所在地:三重県志摩市磯部町渡鹿野
- TEL: 0599-46-0570(志摩市観光協会)
- アクセス:公共交通では近鉄鵜方駅→三重交通バス安乗行きで18分、渡鹿野渡船場バス停下車、対岸船着場から船で3分
車では伊勢道伊勢西ICから県道32号、国道167号経由31km50分
- 駐車場はお泊りの各旅館でお尋ねください。
※渡船場周辺の各旅館の駐車場があります。
渡鹿野島・繁栄と悲哀の歴史
渡鹿野島は昔、伊雑宮の神領であり、「オノコロジマ」とも呼ばれ神の島でした。
江戸時代には江戸と大坂を結ぶ航路上に位置する港町で、多くの船が引きも切らず停泊しました。
海が荒れる日は「風待ちの港」として嵐が治まるまで何日も風待ちしていました。
そんな時、島の女性達は船乗り相手に夜伽(よとぎ)をして駄賃を得ていました。
これが、後の置屋文化のルーツとなったそうです。
この伝統的な産業ががこの島には戦後しばらく残り、かってはそういった婦人を斡旋する置屋が点在していました。
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